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【2024/10/06 16:27 】 |
堂上直倫
堂上 直倫(どのうえ なおみち、1988年9月23日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(内野手)。
高校時代は超高校級スラッガー、尾張のプリンスとも呼ばれた。
父は元中日ドラゴンズ投手の堂上照、兄の堂上剛裕も中日ドラゴンズ所属の外野手。
目次 [非表示]
1 経歴
1.1 プロ入り前
1.2 プロ入り後
2 詳細情報
2.1 年度別打撃成績
2.2 背番号
2.3 個人記録
3 脚注
4 関連項目
経歴 [編集]

プロ入り前 [編集]
小学校時代に、「名古屋北リトル」で野球を始めた。そこでは、投手のほかにも遊撃手の守備についた。春日井市立知多中学校在学時にも、「名古屋北シニア」で遊撃手の守備についたとのこと。2003年、ナゴヤドームで行われたドラゴンズのファン感謝デーで「リトルシニア東海選抜」の4番・遊撃手で出場し、投手を務めた福留孝介から左翼席へ本塁打を放った。その際、インタビューで「僕もずっと中日ファン。いつかはここでプレーしたいと思っている」と語っており、現実のものとなった。
中学卒業後は、野球の名門校として知られる愛知工業大学名電高等学校に入学。1年生からレギュラーを獲得し、2005年春の第77回選抜高等学校野球大会では、4番に座り2本塁打を記録し優勝に貢献した。同年9月には全日本高校選抜として、韓国で行われた第六回アジアAAA選手権大会に参加し、2本塁打で最多本塁打のタイトルを獲得。ポジションは遊撃手、選抜優勝時には三塁手として出場した。高校通算55本塁打で、他校の捕手から「どこに投げても打たれるから投げる球が無い」と言わせるほどのバッティングセンスの持ち主である。
2005年夏の甲子園に向けた愛知県大会では、豊田大谷高校とのナゴヤドームでの決勝戦でホームランを放った。2006年夏の甲子園に向けた愛知県大会では、10四球と勝負を避けられる場面が多かったが、14打数7安打と打率5割を記録し県大会優勝の原動力として活躍。しかし、本大会では初戦敗退を喫した。高校時代の甲子園3大会(2005年春、2005年夏、2006年夏)の通算打率は.480。
2006年ドラフト会議にて、中日、阪神、巨人の3球団から1巡目指名を受け、中日が抽選で交渉権を獲得したため、父・兄と同じチームに入ることになった。親子3人がプロ野球選手かつ同一球団に所属するということは史上初であった[1]。なおこの時の阪神ハズレ1位は野原将志、巨人ハズレ1位は坂本勇人である。背番号は24。
プロ入り後 [編集]
ルーキーイヤーの2007年は結局一軍出場はなかったが、ウエスタンリーグでは出場試合数の8割近くを4番・三塁手で先発出場した。打率は低迷したが、本塁打はチーム3位、打点はチーム2位と、長打力と勝負強さはあった。またシーズン終了後、福留孝介がシカゴ・カブスへ移籍したことにより、背番号を24から1に変更した。
2008年も二軍で開幕を迎えるが、北京オリンピックで荒木雅博、森野将彦が抜けたことにより若手のテストを行った結果、8月3日に初の一軍昇格を果たす。しかし、3試合に出場し、1打数無安打で7日後に二軍に降格。以後一軍に昇格することはなかった。
2009年3月1日の日本ハムとのオープン戦で金森敬之からオープン戦初本塁打となる2点本塁打を放つ。また、この2打席前には兄・剛裕も本塁打を放っており、オープン戦で同一イニングのアベック弾は史上初であったが[2]、開幕一軍を果たすことはできなかった。
2010年、二塁を守る井端弘和が故障で離脱したことから、その代役に指名される。井端の登録抹消日の6月11日から、ファームの試合に中学2年生時以来という二塁手[3]として出場するようになり、6月16日に一軍昇格。その日の対日本ハム戦から先発の機会が与えられた。6月18日の対巨人戦(東京ドーム)でプロ入り初安打、6月27日の対広島戦(ナゴヤドーム)でプロ入り初本塁打を放つなど最終的に82試合出場で打率.263・5HR・30打点とブレーク。急造の二塁守備も失策2と安定していた。試合終盤の守備固めでは岩崎達郎が二塁を守り、堂上は三塁を守ることが多かった。8月6日の阪神戦には、兄の剛裕と共に、兄弟初めてのお立ち台に上がった。また、10月30日に開幕した、日本シリーズも第1戦に井端の後のセカンドとして途中出場。82年出場の父・照、07年出場の兄・剛裕と共に第1戦での親子3人揃っての途中出場は史上初である。
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【2010/11/08 20:16 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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